2012年05月15日
木曽平沢 -漆器の街ー
木曽平沢―漆器の街―
福島宿の山村代官屋敷の紹介は後回しにして、漆器祭が近づいてきた旧楢川村(現塩尻市)の木曽平沢の街を紹介したいと思います。
平沢は奈良井宿と贄川宿の中間にある漆器の街です。江戸時代からこのあたりの宿場で使われてきた漆器を製造してきた街です。
かつては200軒ほどあった漆器製造販売の工房や店も瀬戸物やプラスティック製品に押されたり、高齢化がすすみ後継ぎのいなくなった個人経営の店が相次いで廃業したりして、現在は100軒以下になっているようです。
となりの奈良井宿は昨年の朝ドラ「おひさま」の舞台になったこともあり、観光客が増え、土日では駐車場もないほど多くの観光客でごった返しているようです。
木曽平沢の街も実は伝統的建造物保存地区の指定を受けている街で古い町並みが魅力的な街です。観光客はいなく、のんびりゆつくり歩いて古い街並みを見て歩けます。
上段の国道19号の本山漆器店の庭から望む木曽平沢の街です。
狭い谷合にひしめくように家が建ち並んでいます。ほとんどが漆器を生業としてきた家々です。



いずれも並みを撮った写真です。漆器店の看板がかかっています。中には伝統的建造物保存地区に配慮して赤・白・青の斜め模様のバーバーの回転灯?を木製の木枠で囲んだ理髪店もあります。
ちきりや漆器店は古民家再生で造り直した建物です。看板のない黒塗りの滝澤家住宅も見ごたえがあります。


何十っ軒もの漆器屋さんが並んでいますが、店にはそれぞれお得意の分野があり、品揃えも店によってちがうようです。
平沢の街からやや北へ贄川宿方面に向かったところに木曽暮らしの工芸館があります。ここには長野オリンピックの時の漆を塗りこんだ金・銀・銅メダルが展示されていますし、写真入り伝統工芸士の紹介とその方の作品が展示されています。もちろん漆塗り製品だけでなく、御土産品も販売されています。
上段に国道が新しく開通すると国道添いに支店を出した店が現れました。奈良井から贄川にかけ、いくつもの店が並んでいます。

くらしの工芸館内は写真撮影禁止なので国道添いの龍門堂で店内の写真を撮らせていだきました。


ここは大きなお店で、さまざまな製品が並んでいます。店内奥には一枚板のテーブルや茶ダンスなどたくさんの家具も並んでいます。さらに、新開発した食洗機で洗うことのできる漆器の汁椀や茶碗も売り出しています。

6月1日から3日にかけ第45回木曽漆器祭が開催されます。
各店の店先にはテントが張られたりして漆器が格安で販売されます。
めんぱや曲げ物は奈良井の花野屋というようにそれぞれの店の得意があることは前に書きましたが、それは知らなくてもいくつもの店を見て歩くことも楽しいでしょうし、安く漆器を手に入れられる絶好の機会でもあります。
漆器の器によそったご飯やみそ汁の味は格別のものです。サラダボールやコーヒーカップなどの漆器製品も素敵です。
この機会にぜひ木曽平沢にお出かけ下さい。
福島宿の山村代官屋敷の紹介は後回しにして、漆器祭が近づいてきた旧楢川村(現塩尻市)の木曽平沢の街を紹介したいと思います。
平沢は奈良井宿と贄川宿の中間にある漆器の街です。江戸時代からこのあたりの宿場で使われてきた漆器を製造してきた街です。
かつては200軒ほどあった漆器製造販売の工房や店も瀬戸物やプラスティック製品に押されたり、高齢化がすすみ後継ぎのいなくなった個人経営の店が相次いで廃業したりして、現在は100軒以下になっているようです。
となりの奈良井宿は昨年の朝ドラ「おひさま」の舞台になったこともあり、観光客が増え、土日では駐車場もないほど多くの観光客でごった返しているようです。
木曽平沢の街も実は伝統的建造物保存地区の指定を受けている街で古い町並みが魅力的な街です。観光客はいなく、のんびりゆつくり歩いて古い街並みを見て歩けます。

上段の国道19号の本山漆器店の庭から望む木曽平沢の街です。
狭い谷合にひしめくように家が建ち並んでいます。ほとんどが漆器を生業としてきた家々です。



いずれも並みを撮った写真です。漆器店の看板がかかっています。中には伝統的建造物保存地区に配慮して赤・白・青の斜め模様のバーバーの回転灯?を木製の木枠で囲んだ理髪店もあります。
ちきりや漆器店は古民家再生で造り直した建物です。看板のない黒塗りの滝澤家住宅も見ごたえがあります。


何十っ軒もの漆器屋さんが並んでいますが、店にはそれぞれお得意の分野があり、品揃えも店によってちがうようです。
平沢の街からやや北へ贄川宿方面に向かったところに木曽暮らしの工芸館があります。ここには長野オリンピックの時の漆を塗りこんだ金・銀・銅メダルが展示されていますし、写真入り伝統工芸士の紹介とその方の作品が展示されています。もちろん漆塗り製品だけでなく、御土産品も販売されています。
上段に国道が新しく開通すると国道添いに支店を出した店が現れました。奈良井から贄川にかけ、いくつもの店が並んでいます。

くらしの工芸館内は写真撮影禁止なので国道添いの龍門堂で店内の写真を撮らせていだきました。


ここは大きなお店で、さまざまな製品が並んでいます。店内奥には一枚板のテーブルや茶ダンスなどたくさんの家具も並んでいます。さらに、新開発した食洗機で洗うことのできる漆器の汁椀や茶碗も売り出しています。

6月1日から3日にかけ第45回木曽漆器祭が開催されます。
各店の店先にはテントが張られたりして漆器が格安で販売されます。
めんぱや曲げ物は奈良井の花野屋というようにそれぞれの店の得意があることは前に書きましたが、それは知らなくてもいくつもの店を見て歩くことも楽しいでしょうし、安く漆器を手に入れられる絶好の機会でもあります。
漆器の器によそったご飯やみそ汁の味は格別のものです。サラダボールやコーヒーカップなどの漆器製品も素敵です。
この機会にぜひ木曽平沢にお出かけ下さい。
2012年04月11日
福島宿(1) ー福島関所ー
福島関所は天下の4代関所の一つ
幕藩体制を維持するために「入り鉄砲、出女」といって、御府内に入る鉄砲(謀反・反乱を防ため)と出女(参勤交代制で人質にとった領主の奥方が帰領するのを防ぐため)を厳しく取り締まったのが関所です。
あちこちにおかれた江戸時代の関所、その中で箱根(東海道)、荒井(東海道)、碓氷(中山道)、福島(中山道)の4つの関所はとくに取り締まりの厳しかった関所でした。
京・大阪と江戸の間の行き来には東海道か中山道を通行します。東海道の方が距離も短く、わりかし平坦なのですが、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とうたわれたように主な河川には橋を架けさせなかった幕府です。東海道は大井川をはじめ大河の下流にあったために大雨が降ると、水かさが増した川は渡れず何日も川止めにあいました。
その心配の少なかったのが中山道です。距離は遠く、高低差もあるのですが、予定通りの旅で行き来できたので、中山道を通った旅人も多かったようです。
福島関所は江戸へ268キロ、京都へ260キロのほぼ中間地点にあり、歌川広重が描いた「福し満関所」図のように石垣の下を流れる木曽川と急傾斜の山の間という地形を巧みに利用した関所をつくり、行き来する人々や物資を取り締まったことがうかがわれます。


次の写真は明治40年頃の福島関所跡付近のものです。
左下に木曽川が流れ、右側崖上に民家が数軒並び、中央に中山道が通り、3人の子どもが道端で遊び、その向こうに宮ノ越方面に向かう馬車が走っています。
関所はこの写真より手前の上段にあったものと思われます。
復元した福島関所前から木曽川と福島の街並みをみた写真です。
三人の観光客が下りていく坂道の下川沿いに国道19号が走っています。

復元された福島関所です。○に一の家紋の横幕の奥の畳の間に役人が座り、手前の玉砂利部に旅人が座り、手形を見せたり、詮議をされたりしたのでしょうか。
役人が座っていた部屋を奥から見たのが次の写真です。
この部屋の右の部屋には、当時から残された資料が展示されていました。


次回は山村代官屋敷を紹介したいと思います。
幕藩体制を維持するために「入り鉄砲、出女」といって、御府内に入る鉄砲(謀反・反乱を防ため)と出女(参勤交代制で人質にとった領主の奥方が帰領するのを防ぐため)を厳しく取り締まったのが関所です。
あちこちにおかれた江戸時代の関所、その中で箱根(東海道)、荒井(東海道)、碓氷(中山道)、福島(中山道)の4つの関所はとくに取り締まりの厳しかった関所でした。
京・大阪と江戸の間の行き来には東海道か中山道を通行します。東海道の方が距離も短く、わりかし平坦なのですが、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とうたわれたように主な河川には橋を架けさせなかった幕府です。東海道は大井川をはじめ大河の下流にあったために大雨が降ると、水かさが増した川は渡れず何日も川止めにあいました。
その心配の少なかったのが中山道です。距離は遠く、高低差もあるのですが、予定通りの旅で行き来できたので、中山道を通った旅人も多かったようです。
福島関所は江戸へ268キロ、京都へ260キロのほぼ中間地点にあり、歌川広重が描いた「福し満関所」図のように石垣の下を流れる木曽川と急傾斜の山の間という地形を巧みに利用した関所をつくり、行き来する人々や物資を取り締まったことがうかがわれます。

次の写真は明治40年頃の福島関所跡付近のものです。
左下に木曽川が流れ、右側崖上に民家が数軒並び、中央に中山道が通り、3人の子どもが道端で遊び、その向こうに宮ノ越方面に向かう馬車が走っています。
関所はこの写真より手前の上段にあったものと思われます。
復元した福島関所前から木曽川と福島の街並みをみた写真です。
三人の観光客が下りていく坂道の下川沿いに国道19号が走っています。
復元された福島関所です。○に一の家紋の横幕の奥の畳の間に役人が座り、手前の玉砂利部に旅人が座り、手形を見せたり、詮議をされたりしたのでしょうか。
役人が座っていた部屋を奥から見たのが次の写真です。
この部屋の右の部屋には、当時から残された資料が展示されていました。
次回は山村代官屋敷を紹介したいと思います。
2012年03月03日
つたや季の宿・風里(2)
つたや季の宿・風里(2) お料理はどうだったかな?
会席の時間になりました。
お品書きの表題は「木曽路散歩」。前菜は贄川宿と題し豚生肉ハムと世界のチーズ色々から始まり、デザートは馬籠宿とし和洋菓子のコラボまでの料理を木曽路11宿のコースで紹介。


並べられた料理を見ても、どの料理がどれかなんてわかりませんので、となりやのある宮ノ越宿にあたる料理をアップで紹介します。
宮ノ越宿にあたる料理の写真です。左手にある巻き寿司は水海月・玉子・干瓢・芹・鰻を芯に巻いた「山菜巻寿司」。右手は「穴子けんちん」。真ん中に「熱湯葉掛け」を並べた一品。

木曽路散歩も中盤の須原宿にかかると和牛焼き霜月明かり三宝柑沙羅陀添え。
となりの野尻宿では焼いた牛ヒレ瓦ステーキと板長がにぎった信州サーモンと寒鰤と天然鯛の握り寿司。
おいしい七笑のお酒もはずみました。
朝食ではレストランで板長がテーブル毎、出し巻玉子を焼いて出してくれました。朝食をいただいたレストランです。ここで電池ギレ。食事の様子は撮れません。


お料理の紹介はここまででおわり。
あとは紹介できなかった館内の様子を昨日撮った写真で紹介します。
ロビーでは中央に置かれた大きな箱からオルゴールの調べが静かに流れています。

ゆっくりくつろげるソファーが並んだロビー、壁際には大きな飾り棚。箪笥や箱階段、壺や工芸品が並んでいます。
夕泥む外の風景。昔の田んぼの畔かけを短く切り、フェンスのように設置。中央の木製デッキでは夏の間は戸外で食事もできるつくり。周りはそば畑です。
一方、北側には生き物小屋があり、何種類かの鶏やうさぎ、犬等を飼っているとのこと。採れたての卵は宿の料理に使われるなど、みんな社長の道楽(ごめんなさい)、アイディアのようです。

標高1200㍍の開田高原、おいしいおそばが食べられるお店もたくさんあります。木曽馬の里牧場もあります。スキー場もあります。飛騨高山へは車で1時間です。
昨年の10月にはじめて食事しに訪れ、おいしいお料理をいただきました。泊まったのは今回が初めてでした。今度は夏訪れてみたいと思いました。
「つたや季の宿 風里」 TEL:0264-42-1188
http://www,kiso-kazari.com
会席の時間になりました。
お品書きの表題は「木曽路散歩」。前菜は贄川宿と題し豚生肉ハムと世界のチーズ色々から始まり、デザートは馬籠宿とし和洋菓子のコラボまでの料理を木曽路11宿のコースで紹介。
並べられた料理を見ても、どの料理がどれかなんてわかりませんので、となりやのある宮ノ越宿にあたる料理をアップで紹介します。
宮ノ越宿にあたる料理の写真です。左手にある巻き寿司は水海月・玉子・干瓢・芹・鰻を芯に巻いた「山菜巻寿司」。右手は「穴子けんちん」。真ん中に「熱湯葉掛け」を並べた一品。
木曽路散歩も中盤の須原宿にかかると和牛焼き霜月明かり三宝柑沙羅陀添え。
となりの野尻宿では焼いた牛ヒレ瓦ステーキと板長がにぎった信州サーモンと寒鰤と天然鯛の握り寿司。
おいしい七笑のお酒もはずみました。
朝食ではレストランで板長がテーブル毎、出し巻玉子を焼いて出してくれました。朝食をいただいたレストランです。ここで電池ギレ。食事の様子は撮れません。
お料理の紹介はここまででおわり。
あとは紹介できなかった館内の様子を昨日撮った写真で紹介します。
ロビーでは中央に置かれた大きな箱からオルゴールの調べが静かに流れています。
ゆっくりくつろげるソファーが並んだロビー、壁際には大きな飾り棚。箪笥や箱階段、壺や工芸品が並んでいます。
夕泥む外の風景。昔の田んぼの畔かけを短く切り、フェンスのように設置。中央の木製デッキでは夏の間は戸外で食事もできるつくり。周りはそば畑です。
一方、北側には生き物小屋があり、何種類かの鶏やうさぎ、犬等を飼っているとのこと。採れたての卵は宿の料理に使われるなど、みんな社長の道楽(ごめんなさい)、アイディアのようです。
標高1200㍍の開田高原、おいしいおそばが食べられるお店もたくさんあります。木曽馬の里牧場もあります。スキー場もあります。飛騨高山へは車で1時間です。
昨年の10月にはじめて食事しに訪れ、おいしいお料理をいただきました。泊まったのは今回が初めてでした。今度は夏訪れてみたいと思いました。
「つたや季の宿 風里」 TEL:0264-42-1188
http://www,kiso-kazari.com
2012年03月02日
つたや季の宿・風里(1)
開田高原の温泉宿
「 つたや季の宿 風里(かざり) 」
2月末、機会あって開田高原の温泉宿 「風里」の業者会に招かれ、一泊してきました。
すばらしい宿でしたので、紹介します。
どしっと聳える御嶽山(3063㍍)を間近に望める開田高原末川にある温泉宿・風里です。開業は平成12年というまだ新しい宿です。


到着したのは4時過ぎ、玄関前にはかがり火が焚かれ、出迎えてくれました。
通された部屋は一番奥の部屋。窓の外に桧づくりの露天風呂のついた最高の部屋。夏場ですと一面緑やそば畑に囲まれ、御嶽山を眺めながら家族で入浴できるのですが、冬場でしたので残念。
部屋の広さは14畳ほど、それに6畳の和室と4.5畳のこたつ付きの部屋でした。この部屋に4人で泊めていただきました。

大浴場に入ることにしました。廊下には絵や置物が飾られ目を楽しませてくれます。
風呂棟へ行く渡り廊下の壁にも陶芸や銅製の壁飾りがかけられ、どれもこれも目をひきつけ楽しませてくれます。


風呂の入口には木曽五木の一つ「さわら」の何百年もので作られた夫婦囲炉裏がおかれ、風呂上りのひとときをくつろげるようになっています。

誰も入っていませんでしたので、浴槽から写真を撮りました。浴室のど真ん中には太いひのき柱が立ち、浴槽の仕切りの大理石の上にもひのきを横たえてありました。
一汗かいて、露天風呂へ。五衛門風の釜風呂と鉄平石でつくられた八角形の石風呂。どちらにも入り、御嶽温泉を満喫しました。


長くなりました。次回はお料理を
「 つたや季の宿 風里(かざり) 」
2月末、機会あって開田高原の温泉宿 「風里」の業者会に招かれ、一泊してきました。
すばらしい宿でしたので、紹介します。
どしっと聳える御嶽山(3063㍍)を間近に望める開田高原末川にある温泉宿・風里です。開業は平成12年というまだ新しい宿です。
到着したのは4時過ぎ、玄関前にはかがり火が焚かれ、出迎えてくれました。
通された部屋は一番奥の部屋。窓の外に桧づくりの露天風呂のついた最高の部屋。夏場ですと一面緑やそば畑に囲まれ、御嶽山を眺めながら家族で入浴できるのですが、冬場でしたので残念。
部屋の広さは14畳ほど、それに6畳の和室と4.5畳のこたつ付きの部屋でした。この部屋に4人で泊めていただきました。
大浴場に入ることにしました。廊下には絵や置物が飾られ目を楽しませてくれます。
風呂棟へ行く渡り廊下の壁にも陶芸や銅製の壁飾りがかけられ、どれもこれも目をひきつけ楽しませてくれます。
風呂の入口には木曽五木の一つ「さわら」の何百年もので作られた夫婦囲炉裏がおかれ、風呂上りのひとときをくつろげるようになっています。
誰も入っていませんでしたので、浴槽から写真を撮りました。浴室のど真ん中には太いひのき柱が立ち、浴槽の仕切りの大理石の上にもひのきを横たえてありました。
一汗かいて、露天風呂へ。五衛門風の釜風呂と鉄平石でつくられた八角形の石風呂。どちらにも入り、御嶽温泉を満喫しました。
長くなりました。次回はお料理を
2012年02月26日
和庵・肥田亭
【 和庵・肥田亭 】
昭和2年の宿場大火で多くの家々が焼した福島宿。その中で高台にあった上ノ段地区は焼失を逃れ古い建物が残っていた地区です。
この上ノ段は街並み保存が進みすっかり整備された地区に生まれ変わりました。その中に「肥田亭」があります。
家は古民家再生で造り直され、八沢地区にあった薬舗の看板や薬箪笥等を店内に展示し郷土料理の和食の店として生まれ変わりました。

【肥田亭全景】
右手前から見た建物全景です。木曽の宿場に多い出し梁り造りの2階家です。
和食処ですので、店先には看板や装飾もなされ、今日のおすすめメニューのお品書きも
されていました。
【店内と囲炉裏】
店内に入ると入口近くにはテーブル席が、奥の囲炉裏端には座卓席があり、ちょうどお店の方が囲炉裏に炭を継ぎたしてしていました。自在鍵には鉄瓶がかけられ、串刺しにしたイワナ(?)が焼かれていました。


【囲炉裏と箱階段の飾り】
奥の壁際には箱階段が置かれ、地酒の一升瓶や磁器が並べられていました。自在鍵の右横に置かれた看板は右書きの「太田胃酸」でした。薬舗でかけられていた看板です。
今は「太田胃酸、いいお薬で~す!」と長嶋一茂さんや高島礼子さんが話しかけるテレビCMが流されていますが、テレビのない時代は黒地に金色の文字看板は大事なCM看板だったことがわかります。
【2階から下を覗くと】
他のお客さんがいないので、2階にも登らせてもらいました。上から覗くと梁、明かりとりの障子戸、階下の装飾品の陳列の様子もよくわかります。


【梁と番傘立て】
上を見ると、梁がむき出しで裸電球がぶら下がり、壁には番傘立てが取り付けられ、10本ほどの番傘が飾られていました。
古い「となりや」にも解体前にはあったのですが、土間もなくし、建坪も半分にしたため取り付けるスペースもなく、また傷みもひどかったので断念しました。なつかしく見てきました。
【展示コーナー】
お店を入った右側は薬舗で使っていた薬箪笥を並べ、いろいろな物が展示されていまし
た。
手前には夫婦囲炉裏がおかれ、椅子も並んでいましたので、ここでも食事はできると思
います。
店の奥や二階には個室もいくつかあり、食事をするすることができます。こちらはきっ
と予約しておいた方が間違いないと思います。
「肥田亭」 電話:0264-24-2480
木曽町福島上ノ段5248

今日、私がいただいたのはお店の前に出ていた限定メニュー 木曽牛のひれかつ定食でわさびの湯通しおしたしの前菜やお漬物付き、おかわり自由で1,500円、ここにコーヒーをつけてもらって1,750円でした。
2月17日、三寒四温に向かう変わりやすい天候。食事を終えて、外に出ると雪が降り始めていました。
(次回は開田高原の旅館「風里」を紹介予定です。)
昭和2年の宿場大火で多くの家々が焼した福島宿。その中で高台にあった上ノ段地区は焼失を逃れ古い建物が残っていた地区です。
この上ノ段は街並み保存が進みすっかり整備された地区に生まれ変わりました。その中に「肥田亭」があります。
家は古民家再生で造り直され、八沢地区にあった薬舗の看板や薬箪笥等を店内に展示し郷土料理の和食の店として生まれ変わりました。
【肥田亭全景】
右手前から見た建物全景です。木曽の宿場に多い出し梁り造りの2階家です。
和食処ですので、店先には看板や装飾もなされ、今日のおすすめメニューのお品書きも
されていました。
【店内と囲炉裏】
店内に入ると入口近くにはテーブル席が、奥の囲炉裏端には座卓席があり、ちょうどお店の方が囲炉裏に炭を継ぎたしてしていました。自在鍵には鉄瓶がかけられ、串刺しにしたイワナ(?)が焼かれていました。
【囲炉裏と箱階段の飾り】
奥の壁際には箱階段が置かれ、地酒の一升瓶や磁器が並べられていました。自在鍵の右横に置かれた看板は右書きの「太田胃酸」でした。薬舗でかけられていた看板です。
今は「太田胃酸、いいお薬で~す!」と長嶋一茂さんや高島礼子さんが話しかけるテレビCMが流されていますが、テレビのない時代は黒地に金色の文字看板は大事なCM看板だったことがわかります。
【2階から下を覗くと】
他のお客さんがいないので、2階にも登らせてもらいました。上から覗くと梁、明かりとりの障子戸、階下の装飾品の陳列の様子もよくわかります。
【梁と番傘立て】
上を見ると、梁がむき出しで裸電球がぶら下がり、壁には番傘立てが取り付けられ、10本ほどの番傘が飾られていました。
古い「となりや」にも解体前にはあったのですが、土間もなくし、建坪も半分にしたため取り付けるスペースもなく、また傷みもひどかったので断念しました。なつかしく見てきました。
【展示コーナー】
お店を入った右側は薬舗で使っていた薬箪笥を並べ、いろいろな物が展示されていまし
た。
手前には夫婦囲炉裏がおかれ、椅子も並んでいましたので、ここでも食事はできると思
います。
店の奥や二階には個室もいくつかあり、食事をするすることができます。こちらはきっ
と予約しておいた方が間違いないと思います。
「肥田亭」 電話:0264-24-2480
木曽町福島上ノ段5248
今日、私がいただいたのはお店の前に出ていた限定メニュー 木曽牛のひれかつ定食でわさびの湯通しおしたしの前菜やお漬物付き、おかわり自由で1,500円、ここにコーヒーをつけてもらって1,750円でした。
2月17日、三寒四温に向かう変わりやすい天候。食事を終えて、外に出ると雪が降り始めていました。
(次回は開田高原の旅館「風里」を紹介予定です。)
2012年02月26日
薮原宿(3)と木祖村
【藪原宿(3)と木祖村】
江戸時代には夜に旅をしたり歩く人のために宿場の入口やわかされ(道の分岐点)などには道しるべとなる常夜灯に灯がともされました。
木曽の11宿は国道19号の最寄の場所に夕方や暗い雨の日などには明かりがつく現代の常夜灯がたっています。
藪原宿は国道19号線の下に位置しています。
国道は宿場の上段を通っていますので坂道を下り、道の駅木祖村を右手に見て次の信号から宿場に入ります。

【藪原全景】
JR中央西線の藪原駅の向こうに宿場があります。
中央右手の山裾を右手に入り登っていくと鳥居峠になります。峠を下ると奈良井宿です。
左手に進んでいくと小木曽集落を通り境峠を越え、松本市奈川へ抜けられます。 小木曽の手前を右折して少し進むと味噌川をせき止めたダム湖の奥木曽湖があります。

【水木沢天然林】
「源流の里」を体感できる水木沢天然林があります。夏訪れると涼しくて森林浴もでき自然と触れ合うことのできる所です。観光客の多い上松町の赤沢美林より知られていないだけに訪れる人もそう多くなく最高の場所です。

木祖村はお六櫛の他、キャンバスや画材の生産も盛んで「日曜画家」の村として売り出しています。さらに、「木曽路」の銘柄の清酒を製造販売している湯川酒造や御嶽百草丸をつくっている日野製薬もあります。また、木曽では一番古い藪原スキー場もあります。
小さな村なのにいろいろある村なんです。
江戸時代には夜に旅をしたり歩く人のために宿場の入口やわかされ(道の分岐点)などには道しるべとなる常夜灯に灯がともされました。
木曽の11宿は国道19号の最寄の場所に夕方や暗い雨の日などには明かりがつく現代の常夜灯がたっています。
藪原宿は国道19号線の下に位置しています。
国道は宿場の上段を通っていますので坂道を下り、道の駅木祖村を右手に見て次の信号から宿場に入ります。

【藪原全景】
JR中央西線の藪原駅の向こうに宿場があります。
中央右手の山裾を右手に入り登っていくと鳥居峠になります。峠を下ると奈良井宿です。
左手に進んでいくと小木曽集落を通り境峠を越え、松本市奈川へ抜けられます。 小木曽の手前を右折して少し進むと味噌川をせき止めたダム湖の奥木曽湖があります。

【水木沢天然林】
「源流の里」を体感できる水木沢天然林があります。夏訪れると涼しくて森林浴もでき自然と触れ合うことのできる所です。観光客の多い上松町の赤沢美林より知られていないだけに訪れる人もそう多くなく最高の場所です。

木祖村はお六櫛の他、キャンバスや画材の生産も盛んで「日曜画家」の村として売り出しています。さらに、「木曽路」の銘柄の清酒を製造販売している湯川酒造や御嶽百草丸をつくっている日野製薬もあります。また、木曽では一番古い藪原スキー場もあります。
小さな村なのにいろいろある村なんです。
2012年02月20日
薮原宿(2)
現在の藪原の街並みの様子です。写真は宿中央より南を見たもので、次の写真は北、
鳥居峠方面を見たものです。
今から20年ほど前まではけっこう多かった商店もずいぶんシャッターが下りていました。


宿場町で一番怖いのは火事です。藪原宿の中央には防火高塀跡が残されています。
家並みがここで切られ、小路が設けられ防火塀が立っていたようです。今は松が植えられ、 案内の表札だけが立てられています。小路の奥へ進むと中央西線の向こうに極楽寺があります。

鳥居峠は分水嶺の峠です。峠の向こうの奈良井川は北に向かって流れ、犀川・千曲川・信濃川と呼び名が変わり日本海へ注ぎます。こちらは木曽川。南に向かい流れ下り、太平洋へと流れていきます。木祖村は木曽川の源流の里。宿場内のあちこちに水が湧き出、水が飲めるようになっています。写真は二又水道組合の水飲み場です。

宿場は中央西線が明治末期に開通すると、山に仕事で入る人の宿屋ができたり、商店ができたりして、宿場の面影はなくなっていきました。
それでも宿場内を歩くと、萬壽屋・宮川漆器店の他に写真の米屋興左衛門の看板が出ている家の他、最近は古民家を再生してそばやをはじめたおぎのやさんという店もできています。

40年ぶりに藪原宿を訪れました。帰り際、宿場の入口付近から鳥居峠を振り返って見ました。
小学校3年生の秋の遠足で鳥居峠に登ったことを思い出しました。晴れた日で木曽御嶽山が向こうにドーンとそびえ、大きな栃の木の下でトチの実を友達と競うようにして拾い集めたことを思い出しました。今年は若葉が芽吹く頃にもう一度鳥居峠に登ってみたいと思いました。
鳥居峠方面を見たものです。
今から20年ほど前まではけっこう多かった商店もずいぶんシャッターが下りていました。


宿場町で一番怖いのは火事です。藪原宿の中央には防火高塀跡が残されています。
家並みがここで切られ、小路が設けられ防火塀が立っていたようです。今は松が植えられ、 案内の表札だけが立てられています。小路の奥へ進むと中央西線の向こうに極楽寺があります。

鳥居峠は分水嶺の峠です。峠の向こうの奈良井川は北に向かって流れ、犀川・千曲川・信濃川と呼び名が変わり日本海へ注ぎます。こちらは木曽川。南に向かい流れ下り、太平洋へと流れていきます。木祖村は木曽川の源流の里。宿場内のあちこちに水が湧き出、水が飲めるようになっています。写真は二又水道組合の水飲み場です。

宿場は中央西線が明治末期に開通すると、山に仕事で入る人の宿屋ができたり、商店ができたりして、宿場の面影はなくなっていきました。
それでも宿場内を歩くと、萬壽屋・宮川漆器店の他に写真の米屋興左衛門の看板が出ている家の他、最近は古民家を再生してそばやをはじめたおぎのやさんという店もできています。

40年ぶりに藪原宿を訪れました。帰り際、宿場の入口付近から鳥居峠を振り返って見ました。
小学校3年生の秋の遠足で鳥居峠に登ったことを思い出しました。晴れた日で木曽御嶽山が向こうにドーンとそびえ、大きな栃の木の下でトチの実を友達と競うようにして拾い集めたことを思い出しました。今年は若葉が芽吹く頃にもう一度鳥居峠に登ってみたいと思いました。
2012年02月15日
薮原宿(1)
藪原宿
藪原宿は塩尻市の本山宿から「これより南 木曽路」の石碑を右に見て、贄川宿・奈良井宿を過ぎ、鳥居峠を上って下った3宿目の宿場です。
宿ができたのは木曽義昌が天文2年(1533年)に木曽11宿として定めた時です。その後、慶長6年(1603年)に中山道69駅の宿駅として指定され、整備拡充されていった宿場です。

他の宿場と違うのはなんといっても標高が約970㍍の高い所にあることです。標高が高く、木曽川が宿場より低いところを流れ、米は作れず畑地もわずか。農家は31戸で、暮らしをたてるのは櫛師が185戸、櫛商が21戸、大工、桶屋などの木材加工の仕事とそれを商う商人がほとんどで、宿舎は本陣1、脇本陣1、旅籠は10軒という宿場でした。

お六櫛問屋 萬壽屋

宮川漆器店
宿場の産業は木材加工が主。その主なものが「お六櫛」です。「おろくぐし」の名のいわれは、オロコという髪のフケの方言がなまった説や櫛のはじまりであるとかし櫛の寸法が六寸であったからという説、さらには妻籠宿のお六という娘が考案したからという説などあるようですが、さだかではありません。
江戸のはじめの頃、南の妻籠宿では髪をとかす櫛が盛んにつくられていました。消費が拡大し生産が増えるにつれ、原料であるミネバリの木がなくなり、鳥居峠方面から仕入れ
るようになります。
藪原から妻籠までは7宿13里~14里も離れています。原料の移送は大変です。そこで宿の若者が妻籠宿に潜り込み櫛づくりの技術を習得して藪原宿へ戻り、仲間にひろめたことから藪原宿のお六櫛づくりは始まったといわれています。
はじめの頃は櫛歯もふぞろいで荒削りだったものが寛政・文政年間頃には精巧な製品がつくられるようになっていき、弘化5年(1846年)には細工櫛3、櫛磨き19、櫛挽き239、櫛商19軒の記録があり、藪原宿全戸数の6割が櫛生産にかかわっていたことになります。
櫛の原料は付近の山に自生するミネバリやツゲの他、ツバキ・イスノキなどの暖地産の高級材料も使われたそうです。
お六櫛は現在、藪原お六櫛生産組合(お六櫛工房篠原)で生産されていて、櫛づくりの様子は見学もできるようです。
[お問い合わせは、お六櫛工房篠原0264-36-2488まで]
薮原宿(2)へ続く
藪原宿は塩尻市の本山宿から「これより南 木曽路」の石碑を右に見て、贄川宿・奈良井宿を過ぎ、鳥居峠を上って下った3宿目の宿場です。
宿ができたのは木曽義昌が天文2年(1533年)に木曽11宿として定めた時です。その後、慶長6年(1603年)に中山道69駅の宿駅として指定され、整備拡充されていった宿場です。

他の宿場と違うのはなんといっても標高が約970㍍の高い所にあることです。標高が高く、木曽川が宿場より低いところを流れ、米は作れず畑地もわずか。農家は31戸で、暮らしをたてるのは櫛師が185戸、櫛商が21戸、大工、桶屋などの木材加工の仕事とそれを商う商人がほとんどで、宿舎は本陣1、脇本陣1、旅籠は10軒という宿場でした。

お六櫛問屋 萬壽屋

宮川漆器店
宿場の産業は木材加工が主。その主なものが「お六櫛」です。「おろくぐし」の名のいわれは、オロコという髪のフケの方言がなまった説や櫛のはじまりであるとかし櫛の寸法が六寸であったからという説、さらには妻籠宿のお六という娘が考案したからという説などあるようですが、さだかではありません。
江戸のはじめの頃、南の妻籠宿では髪をとかす櫛が盛んにつくられていました。消費が拡大し生産が増えるにつれ、原料であるミネバリの木がなくなり、鳥居峠方面から仕入れ
るようになります。
藪原から妻籠までは7宿13里~14里も離れています。原料の移送は大変です。そこで宿の若者が妻籠宿に潜り込み櫛づくりの技術を習得して藪原宿へ戻り、仲間にひろめたことから藪原宿のお六櫛づくりは始まったといわれています。
はじめの頃は櫛歯もふぞろいで荒削りだったものが寛政・文政年間頃には精巧な製品がつくられるようになっていき、弘化5年(1846年)には細工櫛3、櫛磨き19、櫛挽き239、櫛商19軒の記録があり、藪原宿全戸数の6割が櫛生産にかかわっていたことになります。
櫛の原料は付近の山に自生するミネバリやツゲの他、ツバキ・イスノキなどの暖地産の高級材料も使われたそうです。
お六櫛は現在、藪原お六櫛生産組合(お六櫛工房篠原)で生産されていて、櫛づくりの様子は見学もできるようです。
[お問い合わせは、お六櫛工房篠原0264-36-2488まで]
薮原宿(2)へ続く
2012年01月03日
賀 (小)

中山道木曽薮原宿 「お六櫛問屋 萬壽屋」 さんの版画です。
賀正
皆さんはどんなお正月・新年をお迎えでしょうか?
新年を迎えた時、誰もが今年はこんな年に!と願いごとをすることがおおいのではないで
しょうか。とくに初日の出・ご来光を拝み願いごとをするのではないでしょうか?
ところで、12月31日、太陽が沈む時、西の空に向かって今年一年お世話になりました、
ありがとうございましたと感謝することをしている方はどれくらいいるのでしょうか。
「周りの人々に感謝する心を忘れずに生きたい」今年の目標にしました。
2012年1月3日 となりやのじゅん
2011年12月09日
画廊となりやの版画を見ながら
画廊となりやの版画をみながら
12月、いよいよ年賀状を書かねばという時期になりましたね。皆さんも今年はどんな年賀状にしようか、なんて考え始めていらっしゃることでしょう。
「切り絵で年賀状を!」と白井信吾先生から教えていただいてからもう30年。その切り絵は7、8枚も刷れば型紙が破れてしまいダメ。「破れない型紙は?」と考え、始めた木版画での年賀状も28年目になりました。
11月になると、今年の題材はどこにしようか、何にしようかと考えあちこち歩き探し始めます。
そして今までの作品を見返してみます。一ヶ月ぶりに宮ノ越 画廊となりやの展示作品を見てきました。

まず、11月にいただいた礫石さんの切り絵の「画廊となりや」を展示しました。右側の作
品が2年前の「解体前のとなりや」の版画作品です。これは白・黒・赤の3色刷りでした。

昨年の作品、木曽平沢の「笹吉漆器店」です。
これは黒の上に白で刷った2色刷りの作品です。
22年ぐらい前の作品です。佐久市の塩名田宿の本陣「丸山邸」の版画です。
この頃から、黒刷りの上に白刷りでするという我流の版画になってきたように思います。
そして、題材は木造建築物に絞られてきました。

20年前の作品、やはり佐久市にある旧中込学校です。小さな洋風の建物です。
松本市の旧開智学校は大きな洋風学校として有名ですが、中込学校の方が1年早く建てられたものです。
こんな作品を見ながら、今まで住んでいた佐久市の木造建築物が多かったのですが、そろそろ拠点を木曽に移そうと考え、宮ノ越→木曽平沢と版画にしてきましたので、間の奈良井か薮原か。奈良井宿は今年9月までNHKの朝ドラ「おひさま」のロケ地でいまもブームで多くの観光客が歩いているので避け、45年ぶりという薮原宿を歩いて探すことにしました。次回のブログでは薮原宿をご案内します。
最後に紹介し忘れた版画を刷った後の版木の紹介をしたいと思います。
版画作品を展示した部屋の片隅に長持ちを置き、その中に白黒の版木を2枚並べて展示してあります。
手前左は飯山の雁木通りの作品ですが、左から 「下絵 →黒刷り版木 →白刷り版木 →完成品」というように並べ制作過程がわかるように展示してあります。

では、薮原宿へ行って来ます。
12月、いよいよ年賀状を書かねばという時期になりましたね。皆さんも今年はどんな年賀状にしようか、なんて考え始めていらっしゃることでしょう。
「切り絵で年賀状を!」と白井信吾先生から教えていただいてからもう30年。その切り絵は7、8枚も刷れば型紙が破れてしまいダメ。「破れない型紙は?」と考え、始めた木版画での年賀状も28年目になりました。
11月になると、今年の題材はどこにしようか、何にしようかと考えあちこち歩き探し始めます。
そして今までの作品を見返してみます。一ヶ月ぶりに宮ノ越 画廊となりやの展示作品を見てきました。

まず、11月にいただいた礫石さんの切り絵の「画廊となりや」を展示しました。右側の作
品が2年前の「解体前のとなりや」の版画作品です。これは白・黒・赤の3色刷りでした。

昨年の作品、木曽平沢の「笹吉漆器店」です。
これは黒の上に白で刷った2色刷りの作品です。
22年ぐらい前の作品です。佐久市の塩名田宿の本陣「丸山邸」の版画です。
この頃から、黒刷りの上に白刷りでするという我流の版画になってきたように思います。
そして、題材は木造建築物に絞られてきました。

20年前の作品、やはり佐久市にある旧中込学校です。小さな洋風の建物です。
松本市の旧開智学校は大きな洋風学校として有名ですが、中込学校の方が1年早く建てられたものです。
こんな作品を見ながら、今まで住んでいた佐久市の木造建築物が多かったのですが、そろそろ拠点を木曽に移そうと考え、宮ノ越→木曽平沢と版画にしてきましたので、間の奈良井か薮原か。奈良井宿は今年9月までNHKの朝ドラ「おひさま」のロケ地でいまもブームで多くの観光客が歩いているので避け、45年ぶりという薮原宿を歩いて探すことにしました。次回のブログでは薮原宿をご案内します。
最後に紹介し忘れた版画を刷った後の版木の紹介をしたいと思います。
版画作品を展示した部屋の片隅に長持ちを置き、その中に白黒の版木を2枚並べて展示してあります。
手前左は飯山の雁木通りの作品ですが、左から 「下絵 →黒刷り版木 →白刷り版木 →完成品」というように並べ制作過程がわかるように展示してあります。

では、薮原宿へ行って来ます。
2011年11月12日
松本市 丸山邸
秋たけなわ、新そばの便りがあちこちから聞こえてきます。もう新そばはお食べになりましたが?
先日、誘われて松本市笹賀にあるかくれそば屋さんで新そばをいただきました。おいしかったです。
古民家再生中に、職人さんに時々打ってだしてくださる奥さんのおそばがあまりにもおいしいので、そば屋をやろうという話になり、再生後は看板のないそば屋さんを始めた「館そば」
でも今日はそばの話ではなく、はじめて入った本棟づくりの民家の内部を少し写真に撮らせていただいたので紹介します。

本棟づくりの丸山邸
左手の障子戸の本玄関からでなく、くぐり戸から中に入りました。


座敷やホール上部の梁組をご覧ください。


床の間
採光用の天窓がついているので
梁組もよく見えます。
千枚格子戸も素敵でした。

こんな民家の座敷で食べた新そばはまた格別の味がしました。
看板もないそば屋さん。屋敷の前には中世に神戸の館跡があったという小さな立看板が立っていました。その「館」の文字をいただいて「館そば」という名前にしているのだなと思いました。箸入れの文字も一枚、一枚手書きです。要予約のそば屋さん、電話番号もこっそりと。

先日、誘われて松本市笹賀にあるかくれそば屋さんで新そばをいただきました。おいしかったです。
古民家再生中に、職人さんに時々打ってだしてくださる奥さんのおそばがあまりにもおいしいので、そば屋をやろうという話になり、再生後は看板のないそば屋さんを始めた「館そば」
でも今日はそばの話ではなく、はじめて入った本棟づくりの民家の内部を少し写真に撮らせていただいたので紹介します。

本棟づくりの丸山邸
左手の障子戸の本玄関からでなく、くぐり戸から中に入りました。


座敷やホール上部の梁組をご覧ください。


床の間
採光用の天窓がついているので
梁組もよく見えます。
千枚格子戸も素敵でした。

こんな民家の座敷で食べた新そばはまた格別の味がしました。
看板もないそば屋さん。屋敷の前には中世に神戸の館跡があったという小さな立看板が立っていました。その「館」の文字をいただいて「館そば」という名前にしているのだなと思いました。箸入れの文字も一枚、一枚手書きです。要予約のそば屋さん、電話番号もこっそりと。

2011年11月08日
切り絵で
六月の親子三人展を見に来てくださった方の中に切り絵の制作をしていた方がいらっしゃいました。
「画廊 となりや」を版画にしてお礼状をさしあげたところ、切り絵にしてくださいました。

切り絵の「画廊 となりや」の写真です。
縦17㎝、横26㎝の大きさの作品です。切り絵というのは一枚の黒色の紙を切って作っていくのですが、どこか一部がつながっていていなければならない、一部でも切り離れてしまってはならないのだそうです。よくみると左下の画廊 となりやの文字も全部埴栽部分を表現した上の部分とつながっています。細かな部分が多いだけ切るのも大変だったと思います。版画とはまたちがった味わいがあります。
制作してくださったのは松本市の礫石和美さんという方です。
いただいた作品は画廊となりやに展示したいと思います。
「画廊 となりや」を版画にしてお礼状をさしあげたところ、切り絵にしてくださいました。

切り絵の「画廊 となりや」の写真です。
縦17㎝、横26㎝の大きさの作品です。切り絵というのは一枚の黒色の紙を切って作っていくのですが、どこか一部がつながっていていなければならない、一部でも切り離れてしまってはならないのだそうです。よくみると左下の画廊 となりやの文字も全部埴栽部分を表現した上の部分とつながっています。細かな部分が多いだけ切るのも大変だったと思います。版画とはまたちがった味わいがあります。
制作してくださったのは松本市の礫石和美さんという方です。
いただいた作品は画廊となりやに展示したいと思います。
2011年11月05日
「画廊 となりや」を版画で・2
「画廊 となりや」を版画で・2

7月、山々の木々の緑が深緑色に染まっていく頃に製作した「画廊 となりや」の版画です。
今はもう秋。今は木曽谷は紅葉の真っ盛り。いや、盛りは少し過ぎたでしょうか。巴淵の紅葉をもう一度見てみましょう。

画廊となりやの建物の前の埴栽スペースにはすべて落葉樹を植えました。どうだんつつじやにしきぎ・やまぼうしも紅葉が進みました。後ろの山々も紅葉にかわりました。
7月18日に紹介した版画「画廊 となりや」の3枚目の版木をいたずらしてみました。


紅葉に染まったとなりやが刷りあがりました。

7月、山々の木々の緑が深緑色に染まっていく頃に製作した「画廊 となりや」の版画です。
今はもう秋。今は木曽谷は紅葉の真っ盛り。いや、盛りは少し過ぎたでしょうか。巴淵の紅葉をもう一度見てみましょう。

画廊となりやの建物の前の埴栽スペースにはすべて落葉樹を植えました。どうだんつつじやにしきぎ・やまぼうしも紅葉が進みました。後ろの山々も紅葉にかわりました。
7月18日に紹介した版画「画廊 となりや」の3枚目の版木をいたずらしてみました。


紅葉に染まったとなりやが刷りあがりました。
2011年11月01日
宮ノ越宿・いま
宮ノ越宿
中山道69次のうち、木曽には11宿があります。
朝ドラ「おひさま」で有名になった奈良井宿と北隣の贄川宿は現在、塩尻市に編入され、島崎藤村の生まれた馬籠宿は中津川市へ越県合併されましたので、現在は8宿というのが正しいのですが、……。
11宿は北から南へ順に
贄川宿、奈良井宿、薮原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿、須原宿、野尻宿、三留野宿、
妻籠宿、馬籠宿 です。
私の生まれた宮ノ越宿は江戸と京都のちょうど真ん中にあたります。奈良井と妻籠は文化財保存地区としてすっかり有名でたくさんの観光客が訪れています。2つの宿は火事にあわなかったため、昔からの街並みが残っているのです。
木曽の宿場を含めた魅力をこのブログを通して伝えていきたいと思います。
今回はまず宮ノ越から。


木曽義仲が挙兵したといわれる旗挙げ八幡宮から見た宮ノ越宿の現在です。 中山道に沿って一列に家並みが続いているのが宿場なのですが、宮ノ越は11宿の中では谷が広くなっているため、新しい家がまわりに次々にできた結果、一面に広がっています。
奈良井・平沢はうるし工芸、薮原宿はおろく櫛や画材などの木工品、福島は木曽の中心の町で官公庁や商店が多く、上松は桧材の集積場として機能してきたのに対し、宮ノ越は何もない所。そのためほとんどが勤め人で現金収入があったため家を増改築し、宿場はどんどん変わってしまいました。写真右側の出桁造りの家はどんどんすくなくなっています。
宿場の向こうの山は山吹山です。いま頃は紅葉で紅く染まっています。

木曽11宿の中で本陣が現存するのは宮ノ越宿だけです。現存する建物は明治16年の大火で燃え、その後建てられたものです。 しかし、持ち主の村上さんは諏訪に出てしまい、空屋となってしまったために傷みがひどくなり、いま保存して手を加えなければどうしようもなくなってしまいます。


宮ノ越宿を眺めた木曽義仲が挙兵したという旗挙げ八幡宮は小さな社が建っているだけですが、左手奥には幹周りが12メートル樹齢600年といわれる大ケヤキが立っています。
この社の前には木曽義仲館跡の碑が建っていました。 後ろには山吹山がそびえ、紅葉が進んでいました。
左側上にV字形に崖のようになっている所があります。8月14日の夕方には京都の大文字焼きのように火が放たれ、ラッポショという火祭りが始まり、松明に火がともされ、山下りが始まります。ラッポショの行列は徳音寺集落を通り、義仲公の墓のある徳音寺まで続きます。


徳音寺はJR宮ノ越駅と木曽川を対峙するように西の山懐に抱かれ建っています。 入口を入ると山門までの石畳みが続きます。 4月には両側の桜が咲いて、絵になる美しい所です。
山門(鐘楼)をくぐると、本堂が建っています。 本堂の奥へ進むと、石段の上に木曽義仲と巴御前のお墓が並んでいます。

徳音寺の前には義仲館があります。門をくぐると、義仲と巴の銅像が来場者を迎えてくれます。 中には義仲に関する資料や絵が展示されています。


木曽川の流れも素敵です。義仲館跡から北へ500メートルほど山吹山をぐるっと廻って流れてきた水は巴淵と呼ばれる深い淵に入ります。義仲の妻 巴御前が水浴し、黒髪を洗ったことから巴淵と呼ばれるようになったといわれています。巴淵は紅葉の真っ盛りでした。
徳音寺に向かうお寺橋から下流に向かう流れはいつも歌川広重の宮ノ越宿の版画を想い出させてくれる流れで私のお気に入りのスポットです。
宿場そのものの趣は失いつつある宮ノ越ですが、寺や神社をめぐりながら一回りすると自然の豊かさや歴史のロマンに触れることができるところです。
中山道69次のうち、木曽には11宿があります。
朝ドラ「おひさま」で有名になった奈良井宿と北隣の贄川宿は現在、塩尻市に編入され、島崎藤村の生まれた馬籠宿は中津川市へ越県合併されましたので、現在は8宿というのが正しいのですが、……。
11宿は北から南へ順に
贄川宿、奈良井宿、薮原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿、須原宿、野尻宿、三留野宿、
妻籠宿、馬籠宿 です。
私の生まれた宮ノ越宿は江戸と京都のちょうど真ん中にあたります。奈良井と妻籠は文化財保存地区としてすっかり有名でたくさんの観光客が訪れています。2つの宿は火事にあわなかったため、昔からの街並みが残っているのです。
木曽の宿場を含めた魅力をこのブログを通して伝えていきたいと思います。
今回はまず宮ノ越から。


木曽義仲が挙兵したといわれる旗挙げ八幡宮から見た宮ノ越宿の現在です。 中山道に沿って一列に家並みが続いているのが宿場なのですが、宮ノ越は11宿の中では谷が広くなっているため、新しい家がまわりに次々にできた結果、一面に広がっています。
奈良井・平沢はうるし工芸、薮原宿はおろく櫛や画材などの木工品、福島は木曽の中心の町で官公庁や商店が多く、上松は桧材の集積場として機能してきたのに対し、宮ノ越は何もない所。そのためほとんどが勤め人で現金収入があったため家を増改築し、宿場はどんどん変わってしまいました。写真右側の出桁造りの家はどんどんすくなくなっています。
宿場の向こうの山は山吹山です。いま頃は紅葉で紅く染まっています。

木曽11宿の中で本陣が現存するのは宮ノ越宿だけです。現存する建物は明治16年の大火で燃え、その後建てられたものです。 しかし、持ち主の村上さんは諏訪に出てしまい、空屋となってしまったために傷みがひどくなり、いま保存して手を加えなければどうしようもなくなってしまいます。


宮ノ越宿を眺めた木曽義仲が挙兵したという旗挙げ八幡宮は小さな社が建っているだけですが、左手奥には幹周りが12メートル樹齢600年といわれる大ケヤキが立っています。
この社の前には木曽義仲館跡の碑が建っていました。 後ろには山吹山がそびえ、紅葉が進んでいました。
左側上にV字形に崖のようになっている所があります。8月14日の夕方には京都の大文字焼きのように火が放たれ、ラッポショという火祭りが始まり、松明に火がともされ、山下りが始まります。ラッポショの行列は徳音寺集落を通り、義仲公の墓のある徳音寺まで続きます。


徳音寺はJR宮ノ越駅と木曽川を対峙するように西の山懐に抱かれ建っています。 入口を入ると山門までの石畳みが続きます。 4月には両側の桜が咲いて、絵になる美しい所です。
山門(鐘楼)をくぐると、本堂が建っています。 本堂の奥へ進むと、石段の上に木曽義仲と巴御前のお墓が並んでいます。

徳音寺の前には義仲館があります。門をくぐると、義仲と巴の銅像が来場者を迎えてくれます。 中には義仲に関する資料や絵が展示されています。


木曽川の流れも素敵です。義仲館跡から北へ500メートルほど山吹山をぐるっと廻って流れてきた水は巴淵と呼ばれる深い淵に入ります。義仲の妻 巴御前が水浴し、黒髪を洗ったことから巴淵と呼ばれるようになったといわれています。巴淵は紅葉の真っ盛りでした。
徳音寺に向かうお寺橋から下流に向かう流れはいつも歌川広重の宮ノ越宿の版画を想い出させてくれる流れで私のお気に入りのスポットです。
宿場そのものの趣は失いつつある宮ノ越ですが、寺や神社をめぐりながら一回りすると自然の豊かさや歴史のロマンに触れることができるところです。
2011年10月23日
高砂邸 長屋門再生工事
高砂邸長屋門づくり完成

以前ご紹介してきた高砂邸の中門づくりの建物の再生工事ですが、建物は6月末に出来上がったようですが、前のスペースに植樹工事を進めていましたのでそのままになっていました。暑い夏が過ぎ、9月彼岸の植樹の適期を待って石を配置し庭木を植え、ようやく庭も完成しましたので、紹介したいと思います。
古民家再生もいろいろな方法がありますが、この高砂邸は曳き屋工法でした。こんな風に完成しました。


真ん中の門になっている通路をはさみ左側は住居部分のようで、通路側にインターホンやレターポストが付いていましたし、低い屋根部分は新築部分で、サッシも入っていました。
一方、右側部分はかつて塩尻郵便局として使われていた部分で、住む目的ではなく再生してそのまま保存する目的で作られたようです。庇屋根やガラス戸はそのまま再生され使われています。サッシは入っておらず、住む目的ではなく長屋門の形を残した建物として再生保存工事をしたようです。


庇屋根の下に下がっている電灯のカバーには〒が入っていました。入口の前には石とタマヒバなどの常緑低木が植えられ、建物が引き立つように造られていました。
裏側は新しい材でつくられていましたので、窓にはサッシも入っていました。道に面した正面側をできるだけそのまま再生した造りでした。
正面は横幅14間もある大きな建物でかなりの資金がかかったと思われます。
設計は川上恵一設計事務所、施工は奈川建設(kk)だったと思います。
下大門の信号を曲がり、旧中山道の道に沿って大門神社を過ぎてすぐのところに建っています。

以前ご紹介してきた高砂邸の中門づくりの建物の再生工事ですが、建物は6月末に出来上がったようですが、前のスペースに植樹工事を進めていましたのでそのままになっていました。暑い夏が過ぎ、9月彼岸の植樹の適期を待って石を配置し庭木を植え、ようやく庭も完成しましたので、紹介したいと思います。
古民家再生もいろいろな方法がありますが、この高砂邸は曳き屋工法でした。こんな風に完成しました。


真ん中の門になっている通路をはさみ左側は住居部分のようで、通路側にインターホンやレターポストが付いていましたし、低い屋根部分は新築部分で、サッシも入っていました。
一方、右側部分はかつて塩尻郵便局として使われていた部分で、住む目的ではなく再生してそのまま保存する目的で作られたようです。庇屋根やガラス戸はそのまま再生され使われています。サッシは入っておらず、住む目的ではなく長屋門の形を残した建物として再生保存工事をしたようです。


庇屋根の下に下がっている電灯のカバーには〒が入っていました。入口の前には石とタマヒバなどの常緑低木が植えられ、建物が引き立つように造られていました。
裏側は新しい材でつくられていましたので、窓にはサッシも入っていました。道に面した正面側をできるだけそのまま再生した造りでした。
正面は横幅14間もある大きな建物でかなりの資金がかかったと思われます。
設計は川上恵一設計事務所、施工は奈川建設(kk)だったと思います。
下大門の信号を曲がり、旧中山道の道に沿って大門神社を過ぎてすぐのところに建っています。
2011年10月09日
今井 賢 写真展のお知らせ・2
今井賢 写真展のお知らせ・2
「かぞく」をテーマにしたモノクロ写真展を開いています。
会場は新幹線佐久平駅より南に1.5㎞ほどのヤマダデンキ佐久店・カワチ佐久店の交叉点の東2軒目に建つ 多目的賃貸場「なんだ館」です。

会場内部の様子

初日の8日は、信濃毎日新聞10月8日の東信版に載った
記事を見て早速来場された方が多かったようです。

展示作品は20点、すべて自分で現像した白黒写真です。
テーマは「かぞく」。
ごくありふれた日常の風景をとった写真です。大腸ガンと闘う母の明るい笑顔、母をとりまく家族の様子、 私も家族の一員?というヤギのめぇちゃんなど、など。

時間の経過とともに照明角度を調節して
見やすいようにしている今井 賢です。
よろしかったら見におでかけ下さい。もちろん入場無料です。
今日9日と明日10日の2日間、開催しています。開館は10時30分からで、
終わりは今日が午後5時30分、明日は午後5時までです。
問い合わせはTEL:0267-88-5010 なんだ館へお願いします。
「かぞく」をテーマにしたモノクロ写真展を開いています。
会場は新幹線佐久平駅より南に1.5㎞ほどのヤマダデンキ佐久店・カワチ佐久店の交叉点の東2軒目に建つ 多目的賃貸場「なんだ館」です。

会場内部の様子

初日の8日は、信濃毎日新聞10月8日の東信版に載った
記事を見て早速来場された方が多かったようです。

展示作品は20点、すべて自分で現像した白黒写真です。
テーマは「かぞく」。
ごくありふれた日常の風景をとった写真です。大腸ガンと闘う母の明るい笑顔、母をとりまく家族の様子、 私も家族の一員?というヤギのめぇちゃんなど、など。

時間の経過とともに照明角度を調節して

見やすいようにしている今井 賢です。
よろしかったら見におでかけ下さい。もちろん入場無料です。
今日9日と明日10日の2日間、開催しています。開館は10時30分からで、
終わりは今日が午後5時30分、明日は午後5時までです。
問い合わせはTEL:0267-88-5010 なんだ館へお願いします。
2011年09月22日
画廊となりや 写真常設展
原 純一郎 写真常設展「いま学校で」のお知らせ
「親子三人展」ではジャンルが競合しないように木版画だけに絞ったのですが、息子が写真展を佐久市で開催することになり、スペースが空きました。 そこで私の写真を展示することにし、準備を始めました。
展示作品は12点とし、月ごとに数点ずつ入れ替えていく予定です。県写真展で入選したり、教職員写真展で最優秀賞をいただいたりした写真も展示する予定です。
息子と違い作品はすべてカラー写真です。

「捕った~! 五稜郭の堀の主!」
子どもたちや学校職員の学校での生き生きとした姿、くったくのない笑顔、真剣な眼差しを捉えた作品を展示していきたいと思っています。
10月から展示する予定です。いま8点展示が終わりました。あと2点仕上がり次第展示する予定です。
ただ100歳になった義母を介護している手前、毎日オープンというわけにはいきません。木曽に行ける日も不定です。ご希望の方は私の携帯電話にて訪問日時を予約していただければ、都合つけてオープンすることにします。
携帯電話番号:090-4159-8978 です。
場所:木曽郡木曽町日義2622 「画廊 となりや」
国道19号を宮ノ越駅か宮ノ越宿を目指し、旧道に入った宮ノ越宿の中央です。

あと2点展示すれば、準備完了。10月オープン予定です。
「親子三人展」ではジャンルが競合しないように木版画だけに絞ったのですが、息子が写真展を佐久市で開催することになり、スペースが空きました。 そこで私の写真を展示することにし、準備を始めました。
展示作品は12点とし、月ごとに数点ずつ入れ替えていく予定です。県写真展で入選したり、教職員写真展で最優秀賞をいただいたりした写真も展示する予定です。
息子と違い作品はすべてカラー写真です。

「捕った~! 五稜郭の堀の主!」
子どもたちや学校職員の学校での生き生きとした姿、くったくのない笑顔、真剣な眼差しを捉えた作品を展示していきたいと思っています。
10月から展示する予定です。いま8点展示が終わりました。あと2点仕上がり次第展示する予定です。
ただ100歳になった義母を介護している手前、毎日オープンというわけにはいきません。木曽に行ける日も不定です。ご希望の方は私の携帯電話にて訪問日時を予約していただければ、都合つけてオープンすることにします。
携帯電話番号:090-4159-8978 です。
場所:木曽郡木曽町日義2622 「画廊 となりや」
国道19号を宮ノ越駅か宮ノ越宿を目指し、旧道に入った宮ノ越宿の中央です。


あと2点展示すれば、準備完了。10月オープン予定です。
2011年09月22日
今井 賢 写真展のお知らせ
今井 賢 写真展「かぞく」のお知らせ
木曽宮ノ越宿「となりや」での親子三人展は6月と8月に開催し、終わりました。たくさんの皆さんにご来場いただき観ていたたきありがとうございました。
この三人展で「家族」をテーマに12点を出品した息子 今井 賢が今度は佐久市で写真展を開催することになりました。

期日:10月 8日(土)~10日(月)
時間:午前10時30分~午後5時30分 (※10日は午後5時まで)
場所:「なんだ館」 佐久市岩村田2329-1
TEL:0267-88-5010
「なんだ館」は岩村田信州短大近くのヤマダデンキ・カワチの交叉点から東に2店舗目の多目的集会所です。
親子三人点に出品した12点に新作8点を加えた20点、すべてモノクロ自家現像20作品です。
10月の三連休中ですが、よろしかったらお近くの方、どうぞご覧ください。もちろん無料です。
木曽宮ノ越宿「となりや」での親子三人展は6月と8月に開催し、終わりました。たくさんの皆さんにご来場いただき観ていたたきありがとうございました。
この三人展で「家族」をテーマに12点を出品した息子 今井 賢が今度は佐久市で写真展を開催することになりました。

期日:10月 8日(土)~10日(月)
時間:午前10時30分~午後5時30分 (※10日は午後5時まで)
場所:「なんだ館」 佐久市岩村田2329-1
TEL:0267-88-5010
「なんだ館」は岩村田信州短大近くのヤマダデンキ・カワチの交叉点から東に2店舗目の多目的集会所です。
親子三人点に出品した12点に新作8点を加えた20点、すべてモノクロ自家現像20作品です。
10月の三連休中ですが、よろしかったらお近くの方、どうぞご覧ください。もちろん無料です。
2011年09月03日
寄せられた感想

見ていただいた方には芳名録の記載先に「画廊 となりや」の版画の
礼状を差し上げました。
何人もの方から礼状をいただきました。となりやと親子三人展をご
覧になられた感想を書きつづってみました。
○ 三人展にもってこいの雰囲気で何かゆったりとした時の流れの中で見る人の心をいやしてくれていました。 〔3年前からぜひ個展をと勧めてくださった佐久市のFさん〕
○ 親子3人の作品を見ることができ、楽しいひとときでした。三人とも完成度の高いすばらしい作品であると同時に温かさの伝わってくるものでした。会長もいい家になったなあと喜んでおりました。 〔となりやを設計した松本市のMさん〕
○ 山合いの木曽路宮ノ越はとてものどかな感じがしました。となりやも風景にマッチし、古民家再生に力がはいったという気持ちわかります。
息子さんの写真、家族愛を感じました。版画はペンで描くだけでも繊細なのに彫ってあるのですから……。娘さんの作品はお父さんの血を受け継ぎ、将来が楽しみですね。 〔新聞で見てはじめて木曽を訪れた上田市のTさん〕
○ すばらしい美術館、今後が楽しみですね。親子で作品展ができるなんてうらやましい限りです。 〔飯山時代の大先輩で長野市に住むS先生〕
○ 築126年の風格のある住居と個性あふれる三人展の作品を鑑賞させていただきありがとうございました。落ち着きのある住居そのものが立派な芸術作品ですねる磨きぬかれた床、柱、垂木、貫、床の間等、それぞれが気品にあふれつつましく堂々とした姿に感銘いたしました。この住居に負けない作品づくりにご精進を続けていただきたいと思います。 〔大学のラグビー部の後輩で安曇野市のKさん 〕
○ 歴史本が好きで、源義仲の本を読んでいて「義仲館」へ行こうと思い立ち出かけました。偶然、よい日よい所に出合い、立ち寄らせていただき、とても快い気持ちになれ、うれしかったです。また、いつかそちらへ出掛けました折には楽しみによらせていただきたいと思います。 〔偶然の飛び込みで見ていかれた岐阜県土岐市のYさん〕
○ “家族”がテーマの息子さんの写真は、どれも日常のあたたかい雰囲気が伝わってきて特に心に残りました。どれも笑顔!! 白黒写真のもつ独特の味わいが胸に深くしみこむ感じで見入ってしまいました。日時用の何気ない家族の姿って大切ですよね。 〔かつての同僚、飯山市のNさん〕
○ こんにちは。先日は素敵なお葉書をありがとうございました。両親から家の近くにおしゃれな画廊ができたと聞いていたので、お盆に帰ったら行ってみようと楽しみにしていました。お家じたいもとても素敵で驚きましたが、展示されている作品もどれも温かな気持ちになれるものばかりで、楽しませていただきました。近くにこんなにミリ翌的な場所ができ、とてもうれしく思いました。木曽には時々帰りますので、またぜひ伺わせて下さい。いただいた版画は大切に飾り、木曽を思いだしております。 〔宮ノ越生まれで今は栃木県にすんでいるJさん 〕
○ とっても素敵な版画のはがきを送ってくださり、本当にありがとうございます。横浜にもどりましたら届いていまして、思いがけず心温かくなりました。
見学の折には、丁寧にご説明くださり、とても楽しくまた勉強になりました。今HPを見させていただきね先日の余韻に浸りながらお返事を書いています。
何より、宮ノ越にこんな素敵な☆となりやさん☆が誕生して(生まれ変わったというべきでしょうか)ほんとにほんとに心から嬉しいのです。
実は…帰省するたびに、親も近所の方もすこしずつ年を取り、周りの風景が少しずつ寂れていく気がして、ひっそりとせつない気持ちでおりました…そしてそういう思いがありながら、日常で精一杯の自分がおり、帰るたびにはがゆく、自らを責めながらまた日時用にもどるということを延々と続けてきました…
そんな私にとって☆となりやさん☆は大きな希望です!ますますのご発展をほんと心からお祈りしています。そしてご近所出身として、微力ながら応援できたらいいなぁと思います。 〔宮ノ越生まれで今は横浜にすんでいるSさん〕
◆まだまだ、Eメールやプログへの書き込みで感想を寄せてくださった方もたくさんいらっしゃいます。ここがよかったと写真に撮って送ってくださった方もいらっしゃいます。庭も素敵ねとか照明が部屋毎全部違いみんなその部屋にあっていて素敵、誰が選んだの?という疑問を寄せられた方もいました。そういえば、写真で紹介してませんでした。次回から紹介して行きたいです。
また、義仲館に来て飛び込みで見て行かれた土岐市のYさんのような方もいます。最後の二人は20代30代のお若い宮ノ越生まれの方です。生まれ故郷は気になります。故郷のよさを伝えていくのもこのブログで出来ます。義仲館、徳音寺、木曽川の流れ、木曾駒高原等などこれから紹介していきたいと思います。
2011年08月19日
第2回 親子三人展終了
第2回 親子三人展 終了
8月6日から開催していました親子三人展は8月14日に終了しました。
今回は、個人的にご案内をお送りしてあった方と6月の新聞報道を見たが来れなかった方、また夏の帰省で宮ノ越に帰ってきて三人展を開いていることを知り訪れた方がいらっしゃいました。教え子、かつての職場の同僚、知人、地域の方々など約60数名の方が見に来てくださいました。
古民家再生の建物と三人の版画・イラスト・写真を見ていただいた後、吹き抜けの食堂でお茶を飲みながら語り合うこともでき、とてもうれしかったです。
ただ、12日には佐久でお近くの方のご葬儀がありどうしても顔出ししなければならなかったので佐久へ戻りました。12日に来ていただいた6名の方とはお話もできず申し訳なかったです。

最後に見ていただいたご一家
今後ですが、秋の紅葉の頃におやじだけの写真展を開催しようと考えています。来訪者
の中にハーモニカの教室を持っていらっしゃる方やコカリナを習っている方もいて、こんなところでコンサートできたらいいねとおっしゃっておられました。話しが出ただけの段階ですので、実現するかどうかはまったくわかりませんが、具体化したらブログでお知らせしていきたいと考えています。
8月6日から開催していました親子三人展は8月14日に終了しました。
今回は、個人的にご案内をお送りしてあった方と6月の新聞報道を見たが来れなかった方、また夏の帰省で宮ノ越に帰ってきて三人展を開いていることを知り訪れた方がいらっしゃいました。教え子、かつての職場の同僚、知人、地域の方々など約60数名の方が見に来てくださいました。
古民家再生の建物と三人の版画・イラスト・写真を見ていただいた後、吹き抜けの食堂でお茶を飲みながら語り合うこともでき、とてもうれしかったです。
ただ、12日には佐久でお近くの方のご葬儀がありどうしても顔出ししなければならなかったので佐久へ戻りました。12日に来ていただいた6名の方とはお話もできず申し訳なかったです。

最後に見ていただいたご一家
今後ですが、秋の紅葉の頃におやじだけの写真展を開催しようと考えています。来訪者
の中にハーモニカの教室を持っていらっしゃる方やコカリナを習っている方もいて、こんなところでコンサートできたらいいねとおっしゃっておられました。話しが出ただけの段階ですので、実現するかどうかはまったくわかりませんが、具体化したらブログでお知らせしていきたいと考えています。


