2013年12月07日
奈良井宿

不幸があったため6ケ月ぶりのブログです。
国道19号線脇に建てられている奈良井宿の案内
看板です。
夏から秋にかけ奈良井宿の駐車場には大型バスが
何台も止まっていて宿場内は人、人、人……
すごい人気の宿場です。

そこで、観光客が引き上げた後ご午後4時過ぎ、
奈良井川に架かる桧造りの木曽の大橋を渡り
奈良井宿にいってみました。
奈良井川は松本平で上高地から流れてくる梓川と合流し犀川となり、善光寺平で千曲川と合流し、
新潟県に入ると信濃川となる日本最長の川の最上流部です。この川と並行して奈良井宿がありま
す。


奈良井宿の町並
JR奈良井駅から南に家々が並び奈良井宿を形成しています。全長500m以上、
ずっと古い家並みが続き、江戸時代にタイムスリップした感覚になります。
奈良井宿は木曽氏が支配していた1500年代半ばに宿駅として成立。
宿は本陣1、脇本陣1、問屋2、旅籠5(資料によっては7)軒とすくないのですが、
当時ここでは「お椀・弁当箱・杯・曲げ物」をはじめとする様々な漆器がつくられ、遠く
から買い付けに来る行商人は多く(商人職人の家はたいがい旅籠を兼ねていた)、
宿の総人口は3000人を超えていた時期もあり、「奈良井千軒」とまで呼ばれ、木曽
11宿の中では最もむ栄えていた宿場でした。
木曽11宿でほぼ完ぺきに当時のままの姿で宿場として残っているのは奈良井宿と
南の妻籠宿だけです。宮ノ越宿は明治16年の大火で、福島宿は昭和2年の大火で
多くの家屋が焼失してしまっています。家い家がつながって建てられているだけに
ひとたび家事が起きると多くの家が燃えてしまいます。奈良井宿と妻籠宿は火災に
あわなかったから江戸時代の姿を今に伝える「国の重要伝統的建造物群保存地区」
にしていされているのです。
奈良井宿は火災にあわなかったか? 調べてみました。「中山道信濃26宿」
(長野県文化財保護協会編・昭和55年発行)によると奈良井宿では天保8年
(1837年)に127戸を焼失する大火が発生していました。はじめての発見でした。
当時、道に面した町並は200戸を越えていたようですが、この大火のため翌天保
9年では明地・明家(空家)が半分近くにもなったようです。
しかし、商人・職人の多いこの宿場は経済力があり、復興も早く、幕末には町並は
200戸を越え、今のような姿になったようです。


さわや漆器店(左)と越後屋漆器店(右)の写真です。多くの職人や商店は
3間巾の間口が多いのにこの二軒の間口はやや広くなっています。漆器店
の他、現在は観光客相手の土産物店、小間物店、そば屋、お茶飲み処等
多くの店が並んでいます。

宿場の中ほどに「ゑちごや」という旅籠が
あります。
間口は3間半ですが、奥行きは24間とかで、
奈良井川べりまで続いています。
現在は1日2組の限定でお客さんをお泊め
しているようです。

奈良井宿にしては間口の広い格子戸の
美しい「とっくりや」です。脇本陣だった家で
現在は食事処を営んでいるようです。
名物のごへい餅でもいただきながらゆっくり
休むのもいいでしょう。
営業中の灯りがともされていました。

三つに分かれています。それぞれに水飲み
場があり、水神様が祀られ灯りもともされて
います。
旅人が水を飲んだり顔を洗ったりし、旅の
疲れを癒した大切な場だったのでしょう。
下町の水飲み場 宿場にとって大切なものに用水があります。
奈良井宿では奈良井川から引いた用水が
町並の裏手にJR中央西線と並行するように
流れています。

なかほどまでくると道幅がぐっとひろがり
妻籠宿とはまったく違うたたずまいになり
ます。
中山道は遠くに見える難所の一つ急こう
配の鳥居峠へと続いています。
峠の向こうは薮原宿です。