2010年05月25日
古材洗い出し作業1
再生用古材洗い出し作業1
約1ケ月かけて解体されたとなりや。柱・長押・梁をはじめ再生時に使えそうな材料は建築を請け負った会社の作業場へ運ばれ、126年の汚れを洗い出すクリーニングを受けていました。
その様子を紹介しましょう。

作業場の全景です。奥のブルーシートの中に運ばれた古材が置かれています。
その手前に黒い材が横たわりカセイソーダをかけられています。長年の間にしみ込んだすすを浮き出させるためです。
手前に置かれている材は洗い出しが終わった材料です。真っ黒だった材がこれだけきれいになり、びっくりです。

カセイソーダはアルカリ性です。水で洗ったとしても薬液がしみこんでしまいます。あらった後、今度は中和するために薄めた塩酸の液を塗り込みます。

水圧で薬品の洗い出しを行います。

洗い出しの終わった太い梁。下からは真っ黒な水が流れ出ていました。

作業場に隣接した倉庫の中では洗い出しが終わった階段が置かれ、自然乾燥を受けていました。
4尺幅の階段ですべて無垢の一枚板でつくられています。今、新築する家は天井を高くします。が、この階段をそのまま使いたいため、天井高も昔の低いままで設計してもらいました。
次回はさらに詳しく続きを紹介します。
約1ケ月かけて解体されたとなりや。柱・長押・梁をはじめ再生時に使えそうな材料は建築を請け負った会社の作業場へ運ばれ、126年の汚れを洗い出すクリーニングを受けていました。
その様子を紹介しましょう。

作業場の全景です。奥のブルーシートの中に運ばれた古材が置かれています。
その手前に黒い材が横たわりカセイソーダをかけられています。長年の間にしみ込んだすすを浮き出させるためです。
手前に置かれている材は洗い出しが終わった材料です。真っ黒だった材がこれだけきれいになり、びっくりです。

カセイソーダはアルカリ性です。水で洗ったとしても薬液がしみこんでしまいます。あらった後、今度は中和するために薄めた塩酸の液を塗り込みます。

水圧で薬品の洗い出しを行います。

洗い出しの終わった太い梁。下からは真っ黒な水が流れ出ていました。

作業場に隣接した倉庫の中では洗い出しが終わった階段が置かれ、自然乾燥を受けていました。
4尺幅の階段ですべて無垢の一枚板でつくられています。今、新築する家は天井を高くします。が、この階段をそのまま使いたいため、天井高も昔の低いままで設計してもらいました。
次回はさらに詳しく続きを紹介します。
2010年05月17日
地盤改良工事2
いよいよ柱状改良工事が始まりました。
① 掘削機の先端は爪のような形状をしています。土をとらえ、回転しながら土中に喰い込んでいきます。

② 回転開始

③ 運転席から覗き込み、設計士がマークした地点からずれていないか確かめながら先端の爪の位置を決め ていきます。

④ 柱状改良が終わった痕です。直径は60㎝、生コンが注入されて写真のような跡になります。この家の 柱が建つ地点すべてに生コンが注入されたこのような痕跡が出来上がります。合計64ケ所。深さは地点 によって違うようですが、表面150㎝は砂礫層のため、その下の地盤に喰い込むようにおよそ230㎝ だそうです。
先日、所要があって新幹線工事が行われている飯山駅前に行きました。案内された知人の家の2階の窓 からひょっと下をのぞくとやはりまったく同じ柱状改良工事が行われていました。飯山駅前の地盤もあま りよくないということ、それだけ余計に費用がかさむということです。

⑤ 同時に違う地点ではバックホーで地中を掘り起こしていました。この地点からは直径30~50㎝くら いの大きな石が20個ほど掘りだされていました。大昔、上流から流されて堆積したものと納得しました。

地盤改良はこれでおしまい。次回は解体され作業場に運ばれた柱等再生材がどのように生まれ変わろうと しているか、洗い出し作業の様子をお知らせします。
① 掘削機の先端は爪のような形状をしています。土をとらえ、回転しながら土中に喰い込んでいきます。
② 回転開始
③ 運転席から覗き込み、設計士がマークした地点からずれていないか確かめながら先端の爪の位置を決め ていきます。
④ 柱状改良が終わった痕です。直径は60㎝、生コンが注入されて写真のような跡になります。この家の 柱が建つ地点すべてに生コンが注入されたこのような痕跡が出来上がります。合計64ケ所。深さは地点 によって違うようですが、表面150㎝は砂礫層のため、その下の地盤に喰い込むようにおよそ230㎝ だそうです。
先日、所要があって新幹線工事が行われている飯山駅前に行きました。案内された知人の家の2階の窓 からひょっと下をのぞくとやはりまったく同じ柱状改良工事が行われていました。飯山駅前の地盤もあま りよくないということ、それだけ余計に費用がかさむということです。
⑤ 同時に違う地点ではバックホーで地中を掘り起こしていました。この地点からは直径30~50㎝くら いの大きな石が20個ほど掘りだされていました。大昔、上流から流されて堆積したものと納得しました。
地盤改良はこれでおしまい。次回は解体され作業場に運ばれた柱等再生材がどのように生まれ変わろうと しているか、洗い出し作業の様子をお知らせします。
2010年05月09日
地盤改良工事1
解体がすべて終わり、更地になりました。いよいよ基礎工事にはいるわけですが、前回お知らせした通り、地盤改良工事を実施しました。
地盤改良工事は特殊な薬品を全面に散布ししみ込ませる方法と柱状改良工事といって直径60㎝ほどの穴を掘削しながら、生コンを注入していく方法さがあるようです。となりやの地盤改良工事には後者が施されました。
① 工事事機器一式と掘削地点の確認をしている作業員が写っています。設計士がマークした64ケ所すべ てを細長い棒をさし込み調べていました。

② トラックのクレーンが吊っている袋にはセメントが入っています。真ん中の青い鉄の枠の中にはコンク リートミキサーがはいっている機械です。手前の鉄製のタンクには水が注がれています。

③ 裏側から見ました。左側から掘削注入機、トラック、バックホー、そしてコンクリートミキサー、これ が今回の工事で使われるすべてです。

④ 掘削注入機です。地盤にドリルで穴をあけながら掘り進み、同時にコンクリートミキサーでつくった生 コンを吸い上げ、黒いホースを通して注入していきます。

⑤ いよいよ掘削注入が始まりました。

次回はこの続きをさらに詳しくお知らせします。
地盤改良工事は特殊な薬品を全面に散布ししみ込ませる方法と柱状改良工事といって直径60㎝ほどの穴を掘削しながら、生コンを注入していく方法さがあるようです。となりやの地盤改良工事には後者が施されました。
① 工事事機器一式と掘削地点の確認をしている作業員が写っています。設計士がマークした64ケ所すべ てを細長い棒をさし込み調べていました。

② トラックのクレーンが吊っている袋にはセメントが入っています。真ん中の青い鉄の枠の中にはコンク リートミキサーがはいっている機械です。手前の鉄製のタンクには水が注がれています。

③ 裏側から見ました。左側から掘削注入機、トラック、バックホー、そしてコンクリートミキサー、これ が今回の工事で使われるすべてです。

④ 掘削注入機です。地盤にドリルで穴をあけながら掘り進み、同時にコンクリートミキサーでつくった生 コンを吸い上げ、黒いホースを通して注入していきます。

⑤ いよいよ掘削注入が始まりました。

次回はこの続きをさらに詳しくお知らせします。
2010年05月02日
解体工事31日目・更地になる
解体工事も1ヶ月。いままで、窓・戸・壁・屋根・2階の柱・大引き・根太・長押・床・鴨居・框・通し柱等の順で解体されてきた様子をお知らせしてきました。そして前回、囲炉裏やこたつの石、柱の下の礎石、コンクリートのたたき、風呂棟が片づけられていく様子をお知らせしました。 31日目。きれいにほぼ更地になってしまいました。

この家の裏側には直線で100mほどのところに木曽川が流れています。江戸時代に五街道の一つとして整備された中山道。両隣の福島宿と薮原宿は当初から設けられたのに対し、宮ノ越宿は15㎞ある間の合宿として1650年頃設けられました。となりやもこの頃造られました。初代の当主、原二右衛門は1684年(貞享元年)6月1日(太陰暦の)に亡くなっています。
そんなことはどうでもいいのですが、宿場ができるよりもっともっと大昔、木曽川は谷の東側を流れていた可能性があります。あるいは時々の大雨で土砂が流され氾濫原としていまの宿場あたりを覆ったのでしょう。地質調査の結果、砂礫層が地下1.5mほどあり、地盤が弱いことが分かりました。
地盤が弱いということは強化する必要があるということです。結果として柱状改良という工法を採ることになりました。大型重機が入ります。このため、解体工事は全部ばらして撤去して、基礎をつくってから古材を利用して再生するという工法をとらざるを得なかったということです。
こうしておおがかりな工事になったわけです。次回は地盤強化のための柱状改良工事についてお知らせします。


この家の裏側には直線で100mほどのところに木曽川が流れています。江戸時代に五街道の一つとして整備された中山道。両隣の福島宿と薮原宿は当初から設けられたのに対し、宮ノ越宿は15㎞ある間の合宿として1650年頃設けられました。となりやもこの頃造られました。初代の当主、原二右衛門は1684年(貞享元年)6月1日(太陰暦の)に亡くなっています。
そんなことはどうでもいいのですが、宿場ができるよりもっともっと大昔、木曽川は谷の東側を流れていた可能性があります。あるいは時々の大雨で土砂が流され氾濫原としていまの宿場あたりを覆ったのでしょう。地質調査の結果、砂礫層が地下1.5mほどあり、地盤が弱いことが分かりました。
地盤が弱いということは強化する必要があるということです。結果として柱状改良という工法を採ることになりました。大型重機が入ります。このため、解体工事は全部ばらして撤去して、基礎をつくってから古材を利用して再生するという工法をとらざるを得なかったということです。

こうしておおがかりな工事になったわけです。次回は地盤強化のための柱状改良工事についてお知らせします。