2012年06月26日
福島宿(4) 上ノ段地区
福島宿(4)
御嶽講で栄えた福島・古い軒並みが保存された上ノ段地区
菓子舗田ぐちのはすむかいには「木曽川 親水公園」があります。
木曽川べりに新しく作られた小さな公園ですが、木陰のベンチでやすんでいる人がいました。屋根の下には足湯があり、10人ぐらいは並んで浸かることができます。
この公園の木曽川べりを見ると、川に突き出したような崖屋造りの家が並んでいます。谷合の狭い土地を最大限利用して家並みを形成しています。


福島宿は本陣・脇本陣各1、旅籠14軒という宿場としては小さな宿場なのですが、信仰の山御嶽山登山の玄関口です。御嶽講の信者は福島か宮ノ越で一泊し、この公園から右手の橋「行人橋(ぎょうにんばし)」を渡り、御嶽山へ歩いて行ったそうです。明治40年代になり中央西線が開通し、福島は木曽谷の行政の中心地、商業の中心地として、また御嶽や駒ヶ岳の観光客の下車駅としても発展してきました。

昭和2年には福島大火が発生し、本陣をはじめ多くの建物が焼失しました。しかし、焼失をのがれた上ノ段地区は町が保存活動に乗り出し、以前紹介した肥田亭をはじめ松島亭、千村茶屋の三軒の古民家再生の食事処をはじめ用水・井戸・高札場などが以前の形をとどめ残され、駐車場や散策路も整備されています。

上ノ段用水と松島亭

小林家住宅と肥田亭

高札場

千村茶屋

七笑酒造
肥田亭・千村茶屋は和食。松島亭はイタリアンの食事処です。七笑酒造は辛口がおいしい地酒です。
神輿まくり
7月22・23日は水無神社の夏祭り。新調されたひのき造りのみこしを担ぎだした若者が神輿をころがし壊れるまで祭は続きます。かつて飛騨高山から木工技術を伝えた宗助・幸助の二人の名前を連呼「ソースケ、コースケ」「ソースケ、コースケ」しながら祭は最高潮に達すると、写真のような縦まくりで神輿を地面にぶつけこわしていくのです。


お盆には義仲祭りがおこなわれ、馬に乗った義仲や巴御前の武者行列が町中を練り歩きます。また、支所前前では民謡木曽節にあわせて踊る木曽踊りの輪ができ、地元の人に観光客も交じって踊りの輪が広がります。
木曽のなぁぁ~ 中乗りさぁ~ん
木曽の御嶽~ なんちゃらホイ
夏でも寒いぃ~ ヨイヨイヨイ
ヨイヨイヨイノヨイヨイヨイ
御嶽講で栄えた福島・古い軒並みが保存された上ノ段地区
菓子舗田ぐちのはすむかいには「木曽川 親水公園」があります。
木曽川べりに新しく作られた小さな公園ですが、木陰のベンチでやすんでいる人がいました。屋根の下には足湯があり、10人ぐらいは並んで浸かることができます。
この公園の木曽川べりを見ると、川に突き出したような崖屋造りの家が並んでいます。谷合の狭い土地を最大限利用して家並みを形成しています。


福島宿は本陣・脇本陣各1、旅籠14軒という宿場としては小さな宿場なのですが、信仰の山御嶽山登山の玄関口です。御嶽講の信者は福島か宮ノ越で一泊し、この公園から右手の橋「行人橋(ぎょうにんばし)」を渡り、御嶽山へ歩いて行ったそうです。明治40年代になり中央西線が開通し、福島は木曽谷の行政の中心地、商業の中心地として、また御嶽や駒ヶ岳の観光客の下車駅としても発展してきました。

昭和2年には福島大火が発生し、本陣をはじめ多くの建物が焼失しました。しかし、焼失をのがれた上ノ段地区は町が保存活動に乗り出し、以前紹介した肥田亭をはじめ松島亭、千村茶屋の三軒の古民家再生の食事処をはじめ用水・井戸・高札場などが以前の形をとどめ残され、駐車場や散策路も整備されています。

上ノ段用水と松島亭

小林家住宅と肥田亭

高札場

千村茶屋

七笑酒造
肥田亭・千村茶屋は和食。松島亭はイタリアンの食事処です。七笑酒造は辛口がおいしい地酒です。
神輿まくり
7月22・23日は水無神社の夏祭り。新調されたひのき造りのみこしを担ぎだした若者が神輿をころがし壊れるまで祭は続きます。かつて飛騨高山から木工技術を伝えた宗助・幸助の二人の名前を連呼「ソースケ、コースケ」「ソースケ、コースケ」しながら祭は最高潮に達すると、写真のような縦まくりで神輿を地面にぶつけこわしていくのです。


お盆には義仲祭りがおこなわれ、馬に乗った義仲や巴御前の武者行列が町中を練り歩きます。また、支所前前では民謡木曽節にあわせて踊る木曽踊りの輪ができ、地元の人に観光客も交じって踊りの輪が広がります。
木曽のなぁぁ~ 中乗りさぁ~ん
木曽の御嶽~ なんちゃらホイ
夏でも寒いぃ~ ヨイヨイヨイ
ヨイヨイヨイノヨイヨイヨイ
Posted by 画廊となりや at 09:09│Comments(0)
│木曽