2010年04月15日
解体工事17日目
宮ノ越に住んでいるのなら毎日記録写真を撮って毎日その様子を発信できますが、私は現在 佐久市に住んでいます。佐久市から宮ノ越までは104Km離れています。車で往復5時間。仕事ももっていますので、毎日解体の様子を記録できない訳です。
これはともかく、解体工事17日目の様子をお知らせします。
この2日間で大屋根を支えていた柱組みや梁が外され、2階の柱などがなくなり、解体が進みました。
①前の道から見ると、青いシートも2階部分が外され、数本の柱が見えます。これは1階から2階までの通し 柱です。あと2本残っている梁や長押が取り外され、1階部分の解体に入ったときこの通し柱も取り外され ます。
②玄関から内部をみた写真です。2階は何もなくなり1階の柱と床、そして柱と柱をつなぐ太い長押が水平に どんと映っています。長押の上部から手前に斜めに4本見えるのが2階の床を支えた大引き天井といわれる 太い角材です。
③大引き天井の角材を横から見た写真です。この天井の上には10畳、6畳、8畳の3部屋があり、後の写真で紹 介する根太天井の上に8畳2間、2階には計5部屋がありました。明治年間の宿帳には多い時には御嶽講の信 者が70人から200人泊まったという記録がされています。信じられない数ですが、太い角材で支えられた大 引き天井の上の2階の部屋に何十人も雑魚寝したんじゃないでしょうか。
④根太天井を支えた横の角材は大引き天井の4分の1の細さ。長さも半分です。昔の作りは今の家のように天 井が高くなく低いです。大引きだとごつく威圧感がありますが、根太天井にすると威圧感が半減し、天井 も高く感じられます。1階の部屋は少し上品な感じになります。さらに横の材を細く上品な感じにした天井 が竿縁天井というつくりになります。床の間つきの客間などに使われる天井です。
⑤台所を上から見た写真です。梁が2本残っています。床板も解体され始められています。
次回は解体工事19日目、1階の柱が外されていく様子を紹介します。





これはともかく、解体工事17日目の様子をお知らせします。
この2日間で大屋根を支えていた柱組みや梁が外され、2階の柱などがなくなり、解体が進みました。
①前の道から見ると、青いシートも2階部分が外され、数本の柱が見えます。これは1階から2階までの通し 柱です。あと2本残っている梁や長押が取り外され、1階部分の解体に入ったときこの通し柱も取り外され ます。
②玄関から内部をみた写真です。2階は何もなくなり1階の柱と床、そして柱と柱をつなぐ太い長押が水平に どんと映っています。長押の上部から手前に斜めに4本見えるのが2階の床を支えた大引き天井といわれる 太い角材です。
③大引き天井の角材を横から見た写真です。この天井の上には10畳、6畳、8畳の3部屋があり、後の写真で紹 介する根太天井の上に8畳2間、2階には計5部屋がありました。明治年間の宿帳には多い時には御嶽講の信 者が70人から200人泊まったという記録がされています。信じられない数ですが、太い角材で支えられた大 引き天井の上の2階の部屋に何十人も雑魚寝したんじゃないでしょうか。
④根太天井を支えた横の角材は大引き天井の4分の1の細さ。長さも半分です。昔の作りは今の家のように天 井が高くなく低いです。大引きだとごつく威圧感がありますが、根太天井にすると威圧感が半減し、天井 も高く感じられます。1階の部屋は少し上品な感じになります。さらに横の材を細く上品な感じにした天井 が竿縁天井というつくりになります。床の間つきの客間などに使われる天井です。
⑤台所を上から見た写真です。梁が2本残っています。床板も解体され始められています。
次回は解体工事19日目、1階の柱が外されていく様子を紹介します。





Posted by 画廊となりや at 09:54│Comments(0)
│古民家再生