2011年02月08日

となりや その後2

となりや その後2
 
 2階のホール、今はこんな感じに飾ってあります。娘の描いた絵4点と前回お知らせした長持ちが奥に、手前左手に漆器やお皿の長机。その奥の箱は?

となりや その後2























 この箱の上には、煙草盆や矢立、刀の束、蔵の鍵等を無造作においてあります。
 煙草盆や鍵はわかると思いますが、矢立なんて知らない人も多いことでしょう。
 矢立は金属の筒の部分に短い筆が入り、前の膨らんだ部分には綿が入っていて、そこに墨が含まれています。昔の携帯用ペンケースといえばいいのでしょうか。出先で文を書いたりする場合に筆記用に使われたものです。
 蔵は昔は味噌倉と本倉と二つありました。本倉は朽ちてしまったので、40年ほど前に取り壊しました。鍵だけが残っていました。いたずらや悪いことをすると、真っ暗な蔵に閉じ込められ鍵をかけられました。蔵に閉じ込められたのは2回ほどだったように記憶していますが、あのガシャッと鍵の降ろされる時の音はなんともいえなかった記憶がかすかに残っています。
 となりや その後2
























 階段下ホールから広縁を見た写真です。階段下には一番大きな蒼い火鉢と鉄瓶を置きました。広縁のテーブルには缶ビールが一本。1日今年初めて泊まった時、庭の雪を見ながら雪見酒ならぬ雪見ビールをいただいたところです。
 となりや その後2 



















































 宮ノ越は火事の多かった宿場町。明治16年8月24日(6月だと思っていましたが、よくよく調べてみた)の大火で90戸ほどの家が焼けました。それ以後、火災を防ぐため自警組織をつくり、夜番(やばん=夜警当番のこと)が回ってきた夜は11時、12時、1時、2時、3時と1時間おきに5回、宿場内を「火の用心~」と言いながら、拍子木を叩いて回ったものでした。11月から3月までの火を使う冬期間だけでしたが、一冬に1回、運が悪いと2回回ってきました。中学生の頃は私の役目、寒くて眠くて大変でした。玄関の靴だなの上に置かれたのは、明治27年と書かれた拍子木です。ずっと使われ続け、年期が入っています。乾いた甲高いいい音がします。

となりや その後2
 






















2階の和室に置かれた衣桁(いこう)です。私のジャンバーを掛けてみました。旅籠だったから泊まった人の着物を掛けたりするのに使いました。これが3つと固定する竹製の衣紋掛けが3つ、うまく組み合わせて使っていきたいところです。


となりや その後2







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Posted by 画廊となりや at 10:40│Comments(0)古民家再生

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