2011年11月01日
宮ノ越宿・いま
宮ノ越宿
中山道69次のうち、木曽には11宿があります。
朝ドラ「おひさま」で有名になった奈良井宿と北隣の贄川宿は現在、塩尻市に編入され、島崎藤村の生まれた馬籠宿は中津川市へ越県合併されましたので、現在は8宿というのが正しいのですが、……。
11宿は北から南へ順に
贄川宿、奈良井宿、薮原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿、須原宿、野尻宿、三留野宿、
妻籠宿、馬籠宿 です。
私の生まれた宮ノ越宿は江戸と京都のちょうど真ん中にあたります。奈良井と妻籠は文化財保存地区としてすっかり有名でたくさんの観光客が訪れています。2つの宿は火事にあわなかったため、昔からの街並みが残っているのです。
木曽の宿場を含めた魅力をこのブログを通して伝えていきたいと思います。
今回はまず宮ノ越から。


木曽義仲が挙兵したといわれる旗挙げ八幡宮から見た宮ノ越宿の現在です。 中山道に沿って一列に家並みが続いているのが宿場なのですが、宮ノ越は11宿の中では谷が広くなっているため、新しい家がまわりに次々にできた結果、一面に広がっています。
奈良井・平沢はうるし工芸、薮原宿はおろく櫛や画材などの木工品、福島は木曽の中心の町で官公庁や商店が多く、上松は桧材の集積場として機能してきたのに対し、宮ノ越は何もない所。そのためほとんどが勤め人で現金収入があったため家を増改築し、宿場はどんどん変わってしまいました。写真右側の出桁造りの家はどんどんすくなくなっています。
宿場の向こうの山は山吹山です。いま頃は紅葉で紅く染まっています。

木曽11宿の中で本陣が現存するのは宮ノ越宿だけです。現存する建物は明治16年の大火で燃え、その後建てられたものです。 しかし、持ち主の村上さんは諏訪に出てしまい、空屋となってしまったために傷みがひどくなり、いま保存して手を加えなければどうしようもなくなってしまいます。


宮ノ越宿を眺めた木曽義仲が挙兵したという旗挙げ八幡宮は小さな社が建っているだけですが、左手奥には幹周りが12メートル樹齢600年といわれる大ケヤキが立っています。
この社の前には木曽義仲館跡の碑が建っていました。 後ろには山吹山がそびえ、紅葉が進んでいました。
左側上にV字形に崖のようになっている所があります。8月14日の夕方には京都の大文字焼きのように火が放たれ、ラッポショという火祭りが始まり、松明に火がともされ、山下りが始まります。ラッポショの行列は徳音寺集落を通り、義仲公の墓のある徳音寺まで続きます。


徳音寺はJR宮ノ越駅と木曽川を対峙するように西の山懐に抱かれ建っています。 入口を入ると山門までの石畳みが続きます。 4月には両側の桜が咲いて、絵になる美しい所です。
山門(鐘楼)をくぐると、本堂が建っています。 本堂の奥へ進むと、石段の上に木曽義仲と巴御前のお墓が並んでいます。

徳音寺の前には義仲館があります。門をくぐると、義仲と巴の銅像が来場者を迎えてくれます。 中には義仲に関する資料や絵が展示されています。


木曽川の流れも素敵です。義仲館跡から北へ500メートルほど山吹山をぐるっと廻って流れてきた水は巴淵と呼ばれる深い淵に入ります。義仲の妻 巴御前が水浴し、黒髪を洗ったことから巴淵と呼ばれるようになったといわれています。巴淵は紅葉の真っ盛りでした。
徳音寺に向かうお寺橋から下流に向かう流れはいつも歌川広重の宮ノ越宿の版画を想い出させてくれる流れで私のお気に入りのスポットです。
宿場そのものの趣は失いつつある宮ノ越ですが、寺や神社をめぐりながら一回りすると自然の豊かさや歴史のロマンに触れることができるところです。
中山道69次のうち、木曽には11宿があります。
朝ドラ「おひさま」で有名になった奈良井宿と北隣の贄川宿は現在、塩尻市に編入され、島崎藤村の生まれた馬籠宿は中津川市へ越県合併されましたので、現在は8宿というのが正しいのですが、……。
11宿は北から南へ順に
贄川宿、奈良井宿、薮原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿、須原宿、野尻宿、三留野宿、
妻籠宿、馬籠宿 です。
私の生まれた宮ノ越宿は江戸と京都のちょうど真ん中にあたります。奈良井と妻籠は文化財保存地区としてすっかり有名でたくさんの観光客が訪れています。2つの宿は火事にあわなかったため、昔からの街並みが残っているのです。
木曽の宿場を含めた魅力をこのブログを通して伝えていきたいと思います。
今回はまず宮ノ越から。


木曽義仲が挙兵したといわれる旗挙げ八幡宮から見た宮ノ越宿の現在です。 中山道に沿って一列に家並みが続いているのが宿場なのですが、宮ノ越は11宿の中では谷が広くなっているため、新しい家がまわりに次々にできた結果、一面に広がっています。
奈良井・平沢はうるし工芸、薮原宿はおろく櫛や画材などの木工品、福島は木曽の中心の町で官公庁や商店が多く、上松は桧材の集積場として機能してきたのに対し、宮ノ越は何もない所。そのためほとんどが勤め人で現金収入があったため家を増改築し、宿場はどんどん変わってしまいました。写真右側の出桁造りの家はどんどんすくなくなっています。
宿場の向こうの山は山吹山です。いま頃は紅葉で紅く染まっています。

木曽11宿の中で本陣が現存するのは宮ノ越宿だけです。現存する建物は明治16年の大火で燃え、その後建てられたものです。 しかし、持ち主の村上さんは諏訪に出てしまい、空屋となってしまったために傷みがひどくなり、いま保存して手を加えなければどうしようもなくなってしまいます。


宮ノ越宿を眺めた木曽義仲が挙兵したという旗挙げ八幡宮は小さな社が建っているだけですが、左手奥には幹周りが12メートル樹齢600年といわれる大ケヤキが立っています。
この社の前には木曽義仲館跡の碑が建っていました。 後ろには山吹山がそびえ、紅葉が進んでいました。
左側上にV字形に崖のようになっている所があります。8月14日の夕方には京都の大文字焼きのように火が放たれ、ラッポショという火祭りが始まり、松明に火がともされ、山下りが始まります。ラッポショの行列は徳音寺集落を通り、義仲公の墓のある徳音寺まで続きます。


徳音寺はJR宮ノ越駅と木曽川を対峙するように西の山懐に抱かれ建っています。 入口を入ると山門までの石畳みが続きます。 4月には両側の桜が咲いて、絵になる美しい所です。
山門(鐘楼)をくぐると、本堂が建っています。 本堂の奥へ進むと、石段の上に木曽義仲と巴御前のお墓が並んでいます。

徳音寺の前には義仲館があります。門をくぐると、義仲と巴の銅像が来場者を迎えてくれます。 中には義仲に関する資料や絵が展示されています。


木曽川の流れも素敵です。義仲館跡から北へ500メートルほど山吹山をぐるっと廻って流れてきた水は巴淵と呼ばれる深い淵に入ります。義仲の妻 巴御前が水浴し、黒髪を洗ったことから巴淵と呼ばれるようになったといわれています。巴淵は紅葉の真っ盛りでした。
徳音寺に向かうお寺橋から下流に向かう流れはいつも歌川広重の宮ノ越宿の版画を想い出させてくれる流れで私のお気に入りのスポットです。
宿場そのものの趣は失いつつある宮ノ越ですが、寺や神社をめぐりながら一回りすると自然の豊かさや歴史のロマンに触れることができるところです。
Posted by 画廊となりや at 09:42│Comments(0)
│木曽